2015年2月16日月曜日

競馬は絶えず変化してきており、昔と今のレースとでは全くの別物になっている。

芝の生育技術が今ほど発達していなかった昔は自然とスタミナを消費する気力を削り合う競馬になり着差がつきやすかった。しかし、芝の生育ノウハウが進んだことで馬場は綺麗に保たれるようになり、その恩恵でスタミナ消費が軽減され余力のあるレースにゆっくり変わってきた。

今ではスローペース化が進んだこともあり直線でのトップスピードを競う、いわゆる末脚勝負のレースが多くなっている。スローペースの競馬では、みんな余力があるので着差は付きにくく昔よりギャンブル色が濃くなっていると言えるだろう。

こういったレースでは、騎手の折り合いと位置取りの関係やロスなく進路を取れるかが重要になってくる。その意識が高まったことで馬群は昔よりも密集化し直線に入ってもバラけなくなり不利を受けやすい土壌が出来上がっている。

こういった時代の競馬ではレースをより深く理解することが重要になってくる。競馬は予想に必要なファクターが多いので個人で対応していくのは相当な労力を覚悟しないとならない。

また、戦略的にどう勝つかの視点も重要であり、ただ当てるだけための馬券で勝つ見込みは低いだろう。

だからこそ、より質の高い情報を手に入れる必要があり儲かる人同士なら情報共有するのは効率の面から願ったり叶ったりなわけ。

「 本当に儲かる情報なら人には話さない」

こういった発言はよく言われるが、私から言えば競馬を知らない人の戯言であり、また予想というものを馬鹿にしていると感じてしまう。

そんな簡単に勝てると何で思い込んでいるのだろうか?あまりに刺激的な過大広告に洗脳されてしまっているのではないか。

競馬と真剣に向き合い死にもの狂いで勝とうとしている人なら、こんな発言はしないように思う。浅い知識で大した努力もせずに上辺だけをなぞっているからこその発言だろう。


競馬理論を研究するにも結構な資金を必要とする。有料サービスで対価を得てさらに深いものとしていくプロセスは資本主義だからこそできることである。

ほとんどの人は競馬理論なんていうものには投資しないので予想技術のレベルは昔の水準から発展していない。そんなことをするより詐欺まがいのサイト運営の方がよっぽど手軽に儲かる現実がある。

利益は詐欺まがい業者に、不利益は真面目な業者にという構図で心折れずに運営を続ける人は希少だろう。それでも続けている人たちがいるのは理論を極めた先に何があるのかを知りたいという純粋な欲求のためだと思う。

まあ何にせよ情報化社会が進んでいるのだから情報共有が起きるのは自然な流れと言えるだろう。出されたものを美味しく頂くだけの人になるか、もっと上手く活用していく人になるかで今後の価値が決まってくる。

2015年2月11日水曜日

馬券で勝ち続けられる人はどれだけいるだろうか。神算鬼謀のように7年以上となると1万人に1人いるかどうかだろう。そういった勝者ほど精神論にこだわりを見せる傾向があることに気が付いた。

馬券でなくてもスポーツのトップアスリートがメディアのインタビューで技術面を語ることはまずない。手の内を知られたくないということもあるだろうが、多くは実践していることが正しいか半信半疑ということがあり、おかしな批判されて心身のリズムを崩されたくないのが大きいという。

自分を大きく見せたがる批評家はいつの時代でも邪魔な存在である。

こういった勝ち組は、技術面において他のお手本とするべきものがなく先駆者として開拓の道を歩まなければならない。過去のトッププレイヤーがしてきたノウハウが明らかになれば、それは出来て当たり前のことになり、他者より先を行くには自分で更なる進化を遂げる必要性が迫られてくるからだ。

そのような状況において何が大切になるだろうか?

それは、何があっても「自分を信じる」ことを基本とした精神論である。いま自分のやっていることが正しいと思うことで新たな技術習得のチャンスが生まれてくる。もちろん根本的に論理が間違っていて収穫なしで終わることも多いだろう。しかし、そこで諦めてしまえば試合終了なのは安西先生が仰ってる通りだ。

状況は刻々と変化しており、何かのテストのようにこれをやっておけば万全ということはない。常に自分自身が進化することが求められてくる。そして勝ち続けるために自分にムチを打ちつつ悪戦苦闘しながら進化しなくてはならない。

多くの人が馬券で負けるのは根本的な部分で自分を信じていないからである。

これが正しいのことなのかが分からず、その判断さえも分からない。こういった人が優秀な人に技術を教えてもらったとしても大成することは難しい。なぜなら自信のない人はすぐに諦めるからだ。

なんのジャンルにせよ勝者になりたかったら、まず自分自身を信じることから始めなければならない。1000万円を失おうが自分ができると思って行動する人は勝者としての強さを持ち続け不可能を可能にしていくだろう。
激走穴馬として京都金杯で本命に選んだマイネルメリエンダはもくろみ通りの3着に好走し好配当を演出した。その次戦となった東京新聞杯では好走できないと思い消すに至ったが、それはなぜか。

やや重の馬場で好走していることから雨が降ったことはマイネルメリエンダにとってプラスだったことは競走成績を見れば分かる。しかし、そのプラス要素さえもアルファにならない根本的に消すべき要素が存在していたのだ。

穴馬を特定するにあたりレース分析は欠かせないものである。基本的なコース分析から始まり、次第にラップタイムや馬場・騎手などの要素を織り交ぜながらどういうレースだったのかを明確にしていく。

この作業は実に骨の折れる作業で、特に今の差がつかない競馬では馬券効率を上げるには必須である。こういった細かい作業で基本的な競走馬能力の序列が決まっていく。

逆に予想では、この基本的な序列に馬場・騎手・展開などのファクターを絡ませて穴馬を特定していくことになる。

ほとんどの人は週末のあいた時間で競馬新聞を読みながら感覚的に予想するが、私を始めとする神算鬼謀に在籍するトップクラスの馬券師は穴馬でも大枚勝負できるぐらいレース分析に時間をかけている。

そういった分析からマイネルメリエンダの特性を理解し消すに至ったのである。詳細は会員向けのみ発表する規定なのでここでは書けないが、穴馬の出現ポイントが分かれば後は引っかかるのを待つのみ。

こういった事前の仕込みが穴馬の特定に繋がっていく。

孫子いわく、「戦う前に勝敗は予測できる」と説いている。

見込みが多い者は勝ち、少ない者は負ける。まして見込みが全く無いとなっては、お話にならない。私がこうした計測に従って戦いの行方を見れば、もう勝ち負けは見えている。

本命にしろ穴馬にしろ馬券で勝とうと思うなら揺るぎない実力を手に入れるしかない。自分の見立てが勝算なのか妄想なのか、まずは自分を疑うことから全ては始まる。

2015年2月5日木曜日

競馬予想の質を上げたい人は多いだろう。

手っ取り早く向上させたいのなら上手い人の考え方をコピーするのが一番である。その人の思考を乗っ取ったつもりで予想していくことで驚くほど短期間に成長できたりする。

普通にやれば10年かかることを1年で習得できてしまうのは、優秀な予想家の効率的に設計されたプロセスを辿り効率的な学習ができるからに他ならない。

ただし、これをやるには抽象的な予想をする人では効果が薄い。筋道のしっかりしたストーリーがあり納得できるものであるか。そして、その予想は成果が見込めるものであるか。

これらをクリアできる人を簡単に見つけることはできないだろう。ネット上には色々と予想している人がいるので自分が納得できるものであれば真似してみればいい。

1つ注意したいのは、下手を打つと間違った論理を吸収してしまい後遺症で苦しむというデメリットもある。

この点を解消するには、まずは自身の基礎力を高める必要がある。優れているかどうかの判断は全くの素人では難しいからだ。

競馬の基本が分からない人は1カ月ぐらい市営の図書館にこもり競馬本を読み漁ってみて欲しい。ネットにもあるが間違った情報が多くあり、元は競馬本からのコピーばかりなので元を読む方が早く吸収できる。

この時に注意したいことがある。それは、出目やサインといったオカルト本や、こうすれば儲かるみたい本は、既に時代遅れになっている可能性が高く読む価値はない。

読むべき本は、

・競馬の基礎+(馬体・血統・コースなど)
・生産者や獣医の本
・調教師や騎手が書いた本

とりあえずこれだけ読んでおけば基礎的な力は問題ないだろう。できれば馬券での経験値を積んでおきたい。

見る目のない人間が競馬で勝つのは事実上不可能である。馬も人も正しく評価できる眼がない人が勝つ道理など存在しないからだ。

努力を惜しむ人間には何がチャンスか分からず虚しく通り過ぎていくだけである。そうならないために最低限の知識はつけておこう。
堅い軸馬からの流し馬券は点数が絞りやすく、やり方次第では素晴らしい戦略になりえる。

しかし、断然人気の軸馬から大穴まで隅々と流していくような馬券は買うまでもなくプラスにならない。奇跡が起こればプラスになるかも知れないが、奇跡を願うなら宝くじを買う方が理性的と言えるだろう。

多くの人は勝って終わりたいと願っており、あまりに当てることを重視しているため無駄な買い目を抱え込みやすい。

馬券が当たらなければ払い戻しはないので理解できる行動ではあるのだが、 長期的に見るとリスクヘッジになっておらず純粋なリスク要因になっていることに気が付くはずだ。

競馬は控除率があり負けるように出来ているギャンブルである。

この事実に逆らない抗おうと手広く買えば買うほどズブズブとマイナスの底なし沼にハマッていくだけだ。そこから抜け出すためにはどうすべきだろうか?

それは損を請け負う覚悟を持つことだ。負けて当たり前という心構えになることで余計な買い目を買わずに済みリスクヘッジが機能するようになる。


兵法には、軍を死地に陥れる事によって逆に生還する事ができ、亡地に置く事によって逆に生き抜く事ができる、とある。

こういった心情的な面でも勝ち組とそうでない人は大きな差がついていると言えそうだ。

どうせなら買い目を減らして効率よく負けてやるんだくらいの意気込みが丁度いいのかも知れない。
回収率の額面上の数字は大事だが、もっと大事なのは継続していけるかという点にある。その点を考察する上で注目しておきたいのが「回収率の伸びしろ」である。

基本的にオッズの低い「本命馬券」は、プラスにしていくための配当ポテンシャルが低く「伸びしろ」はほとんどない。

高い的中率を実現しやすく回収率も安定しやすいが100%を超えるのにはレースや買い目を絞るなど結構な工夫が必要になってくる。回収率の限界値が低いことからコツコツ負ける人がほとんどだろう。

 その対となる「穴馬券」は、回収率の上限が大きいため予想力のある人間であれば高い回収率を維持しやすい。その反面、下限も底なしなので下手を打てば消費税より低い回収率を叩きだすこともありえる。

どちらがいいかは馬券的な趣向や資金力・予想力を加味して考えるべきだろう。

私は本命も穴も決めつけないバランス派という人もいるだろうが、これはどちらのメリットを受けられる一方でデメリットも引き受けることになる。

結局はどっちつかずで収支が安定せず年間目標も見えにくくなるのでおすすめはしない。

まずは極端なスタンスから始めて勝つことが重要であり、自分に合うバランスを模索していくのは後回しで良い。

いまの成熟した競馬では確かな本命馬券というのは昔に比べ減少している。混迷を極める今のレース事情では、とるべきスタンスは「穴馬券」の方が望ましく思われる。

馬券の買い方が難しい時代となったため、買い目を絞り過ぎるのは逆効果を生み出しやすい。今の買い目点数でカバーできていないと思ったら素直に資金を上積みして対応するべきだろう。

一番の理由は、競馬予想家の登場がメディア主導で行われることだと考えている。競馬雑誌などから、この人はこれだけ凄いんですと宣伝し関連本で収益を上げていく手法が以前の稼ぐ王道手法だったからだ。

インターネットなら、このスキームを超えて評価される人が出てきてもいいものだが、競馬予想家の実力というのはパッと分かるものではないので簡単にはいかないのかも知れない。

また、自称プロを名乗る人が多く存在することから胡散臭さから先入観を持ってしまうため正常な判断がつかないということもありそうだ。

麻雀にはプロ制度があるので一般人と一線を引けるのだが、競馬予想業界にはそういったものはないので判断材料が競馬予想家から出された情報しかないというのもネックになっている。

競馬予想業界が詐欺まがいの温床になっているのは、真面目にやるほど馬鹿を見る現状があるということも実際に見てきている。

優れた人が予想を公開し実績を作ったとしても、その情報をコピーして自分の手柄として利用する悪質な予想家も実際に存在している。

まさに悪貨が良貨を駆逐している状況であることを利用者は知っておかねばならないと思う。本当に優れた予想家が出てくる土壌を作れるのは誰だろうか?

それができるのは、良いものを良いと発信できる利用者だけである。今ならツイッターなどのSNSがあるので、そういったことはやりやすいだろう。

そういった流れを作ることで、資本主義らしい実力による競争が生まれるため、詐欺まがいも自然と減ることになる。そうなればオッズが下がったとしても利用者には選択肢が多くあるので他の予想家を発掘して乗り換えればいいだけだ。

なぜか分からないが日本のネット事情では有料サービスというのは疎まれる傾向にある。良い物を作る人にお金が集まれば更に良い物がでてくるのが資本主義経済のメリットなのに、これを感情的に拒絶してしまう。

本当に競馬で勝てる人というのは、見えないところで多くの時間を犠牲にしている。そういった所に敬意を払えないのなら、競馬は今より一層つまらないものになっていくだけだろう。

人を育てなくなった今の日本社会を冷静に見渡して欲しい。昔に比べ額の大きい詐欺が蔓延していないだろうか。

起業しても支援を受けにくい日本では、起業するより詐欺をする方が稼げるという現実化しつつある。そういった負の連鎖から抜け出すには、社会システムを変えると共に価値があると思ったものに投資する気風が必要だろう。

優秀な競馬予想家がすくすくと育つためには、利用者が暖かく見守り育てていくしかないように思う。成功すれば利用者にも恩恵があるのだから、それぐらいのリスクなら利用者が背負ってもいいのではないだろうか。

競馬で勝つための戦略

競馬には控除率があり何の戦略もなしに馬券を買っているだけでは勝てない。どんなに予想力が高いレベルにあったとしても、ほぼ確実に負ける馬券の買い方があることを知っている人はどれだけいるだろうか。

それはさておき、競馬で勝つために基本的にとるべき戦略は2つあり、大別すると「短期」と「長期」に分かれる。

簡単な2つの特徴を述べると、「短期戦略」では 高資金を回して利益を伸ばすことに主眼が置かれる。

「長期戦略」では、 1年間の利益を決め目標を達成しやすい手段を策定し短期よりも確実に利益を生み出すことに主眼が置かれる。

競馬において資金力があるということは、それだけに非常に強い武器となりうる。的中率が高く安定性を重視する人は、馬券圏内にくると思う馬を損を考えずにまとめ買いしトータルでプラスになればオッケーという買い方が多い。

これは安定性を生む一方で相当な資金力を必要とするためおいそれと真似することはできない。多点買いはトリガミが多く発生する一方ものの、偶発的に起こる思いがけない高配当にありつくことができる。 ある程度の予想力があれば「短期」で資金を回していくことができる。

それだけに失敗した時のリスクは大きいものとなる。予想力が落ちてしまえば散財するスピードが速く、今までの利益を一気に吐き出してしまう。

ここで大事なのは、競馬のおける論理というのは時代とともに変わるということにある。今まで利益を生み出していた手法が陳腐化することは珍しくなく、そこに気付けないと勝ち組から転落するのも早い。

そのリスクを軽減したいのなら取るべき戦略は「長期」 になる。自分の手法に異常を察知しやすく原因を探る時間があるので軌道修正がしやすい。予想力があり特に「短期」でする理由がないのなら、実力が反映されやすい「長期戦略」が望ましいと言えるだろう。

株で考えると分かりやすいが、短期的には人間の心情だけで株価は上下している。デイトレーダーなどの思惑が絡むからだろう。しかし、長期で見ていけば会社の実力に応じた株価に向かっていくもの。そのため、ウォーレン・バフェットなどの偉大な投資家は、より自分の実力を発揮できる「長期戦略」を主軸に置いている。

 本気で競馬で勝ちたいと思うのなら、競馬に限らず幅広い書物を読むことをおすすめする。競馬の常識なんて時代で変わるもので、そこだけに捕われていると失敗しやすい。

神算鬼謀の競馬理論は、統計学や社会学など現実にある学問から競馬向けにカスタマイズされたものが多い。競馬だけの知識で何とかしようとしない柔軟な思考力を身に着けることを優先すべきである。